デジタル/アナログ


世の中には、「デジタル」・「アナログ」という二つの概念がある。

デジタル…語源は指を表すラテン語より。状態を示す量を数値化して処理を行う方式。離散的。


アナログ…語源は比例を表すギリシャ語より。連続した量を他の連続した量で表示すること。連続的。

今の世の中ほとんどがデジタル化されている。
曖昧な部分をすべて数値化して処理できるので、誤差も少なく、現代技術の躍進の中枢を担っているともいえる。
確かに文明の発達という意味でデジタルは今や人間には欠かせないものであるといえよう。
例えば音楽にしても昔はテープやレコードなど、音の劣化する媒体が利用されていたが、現在ではCD・MD・MP3などによって音を数値化し、半永久的に音質を保ったまま保存することが出来る。


しかし、本来、生き物にはそんなものは必要なんだろうかともふと思ったりする。
体温計にしても、熱が何度何分あるぞって詳しく知ることにあまり意味はない気もする。
大事なのは高熱なのか、平熱なのか、微熱なのかであって、人間の体はロボットのようにもともと数値としてできてるわけじゃないので、何度何分だからどうこうってのはあまり意味がない気がする。
計測ということで詳しい情報を知れるという利点はあるが、じゃあそれで??って感じ。



文明の発達という点ではデジタルは必要であるし、物凄い恩恵を受けていると思うし、今となっては絶対必要なものであると思う。
僕が言いたいのは必要不必要か・ええか悪いかって話じゃなくて、なんか不自然な感じがするってこと。


生きとし生けるものすべての生命はアナログが根源であって、人間も本来はそうだったはず。

今何年何月何日何時何分何秒か、気温は何度か、何cm何kg…

犬や猫目線で人間を見たら、何それ??って思うやろね。



日本史とかも、曖昧やからいいのであってデジタルとしてきっちり完璧に記録が残っているのなら、小中高の義務教育で習うほどの意味はないような気もする。
劣化してこそ歴史というか。
古いものは劣化して忘れ去られていくのが自然。
それゆえ歴史を表現するものとして価値がある文化遺産
今では写真で記録できるが、昔は絵画でのみ時代を表してた。
写真では100%客観性を残すことができるが、絵は主観的なものも表せる。
当時の人間の心境をも見て取れる。



通信手段という点でもデジタルの貢献はすばらしい。
光通信とかありえん速さやもんね。
今や誰でも数万km離れた世界中の情報が秒単位で手に入る。
数十年前の人が一生かけて歩いて回って得れるような情報を瞬時に集めることができる。
逆に言えば、個人情報などの秘密事項もちょっとしたことで世界中に知れ渡る。
うーん、考えればやっぱり不自然である。
生物では到底なし得ないレベルのスピードで情報が行き交っているのである。
今でもちょいちょい問題があるが、そう遠くない未来にそれが原因でさらにとんでもない事態が引き起こるような気もする。
その例の一つとして、例えばSARSエイズなどの問題も記憶に新しい。
病気というものは人間に常にまとわりついてくるもので、過去にもペストなどの伝染病が歴史に大きな影響を与えてきた事実がある。
でも考えてみたら、疫病が全世界を脅かすってことはなかったんよね。
基本的には人間の歩くスピード以上には進まないわけで。

でも今や世界のある場所で疫病が流行ったら、世界中の脅威となる可能性もあるんよね。
しかもとてつもないスピードで。
怖い話やと思う。
これは便利な世の中の代償。
しゃーないっちゃあしゃーない。




もろデジタル計算機であるコンピューターを利用して書き込んでる自分で恐縮ですが…