行動(action)と動機(motive)


最近就活をしていて思うこと、それは志望動機について。
面接などでも最も重要なファクターであり、最も大切なものと言える。
しかし、僕はこれに結構手を焼く。


ほんとに行きたいと思っている第一志望でこそ、この志望動機ってやつははっきりしているのだが、そうでない会社に対する動機ってのは案外難しい。
極論を言えば、ほとんどが後付け状態である。
普通に考えれば自然なことかもしれない。
一番行きたい所には行きたい理由ってものが存在するであろうし、逆にとりあえず的なところは動機があいまいなものになるのは当たり前のことだと思う。
でも実際に面接などでは同じレベルの動機が求められる。


同じ就活をしている人の話を聞いても、志望動機どうしようと悩む人も多い。
それはもはや動機があっての志望ではなく、志望するための動機に逆転しており、動機が後付け状態と化してしまっている。
それがいい悪いではなく、今の就活スタイルの現状といえる。


仕事を探している身としては、この業界ならとりあえずどこでもいい、こんな感じの会社なら・・・、と若干あいまいなイメージを少なからず持っているものである。
なぜなら、まず第一に職を得るということが最重要であり、それに加えてあらかじめ実際にその会社で働けるわけではないから。
逆に企業側としては、他にも会社はある中でなぜウチなのか、を必ず聞いてくる。
これは言わば、採用者の目線では当たり前の質問である。
ここの差に矛盾が生まれる。
その企業のアイデンティティを把握し、それをふまえた上で志望するというのが本来の順序であろうが、ほんとに行きたいところ2,3社だけエントリーするなんて荒業はそうできるものではない。


考えてみれば、動機の後付けってのは日常生活でも横行している。
毎日の中で動機をはっきりと述べる機会が皆無なので気付かないが、自分が今までやってきたことを考えてもそれは当てはまる。


たとえばバスケ。
今でこそバスケのよさ、チームワーク云々を言えるけど、実際に始めた理由はなんとなく・・・であるし、しいて言うならスラムダンクの影響、友達の影響くらいのもんである。
もちろん何らかのアクションを起こすからには何らかの動機が存在するのではあるのだが、それが人様に言える様な立派なものであることは稀ではないか。


中には例外もある。
とある尊敬する友達は、将来を見据えて今の自分のステップを確実に進んでいる。
僕がこういう風に考えれるようになったのも、その人の影響でもある。
自分が尊敬する人は、こういう自分のやってることの動機をきっちり持ってる人が多い。


動機の後付けは仕方ないことである。
全てが必ずしも理由あってのアクションってことはありえない。
つじつまを合わせることも時には必要である。
さらに言うなら、それは変化していくものでもある。
それがモチベーション(motivation)。
モチベーションって「意欲」ってニュアンスで使うことが多いけど、「動機」って意味でもある。
モチベーションって一定じゃないもんね。
その時々で変化してもいいもので、むしろそれが自然なことなんじゃないだろうか。


これからの自分の人生の上で何かをしようと思ったとき、その時に自分がどう思ってやるのか、それをやることによって自分の何が変わるのか、いずれどうなりたいのかというビジョンを、せめてぼんやりとでも常に見れるような人間でありたい。